母が買い物から帰ってくる わたしは床で死んでいる そんなところで死んだらだめと母が言う なんだか気恥ずかしくなって起き上がり 葬式はいつになるの などと話している そうこうしているうちに親戚が集まってきて どこで都合したのか祭壇が組み上がる 豪勢な仕出しをみんなで食べながら おまえもやっとこっちに来たなあ なんて 棺の中の顔を覗きこみ いつのまにやら始まった読経も楽しげで だがこのあとは焼き場が待っているのではないか このからだを焼いて骨にするのではないか そう考えるといよいよ気が重い
眠りが足りなければ不思議なことが起きる その言葉を証明するかのように 何日も眠れずに机に向かっていると 足裏の感触がどことなくおかしい じゅうたんのあちこちからもやしが発芽して 生えに生えてとどまることを知らず いちめんにふよふよと風に吹かれている 見渡すかぎりの白い草原に 萌え出づる穂は寄せては返し そのはるか上空にはオーロラが輝き よく見れば あれは部屋にかかるカーテン カーテンを開ければ窓 窓の外にはやはり生白いもやしヶ原が どこまでもどこまでも ……病めるは昼の月 地平線の彼方まで続いているのだった
寝ているうちに夕方になった 夜になる前に起きなければならない けれどどうしても布団から出られなくて カーテンの陰にいる母に 起こして と言ってみる 母は不思議そうな顔をしている 見ているだけなら早く成仏すればいいのにと思う 起き上がる気力がなくなってしまって 同じ姿勢のまま身動きがとれない 部屋は真っ暗で空気が薄い 母の体が青白く輝いている 起こして ともう一度つぶやく 母はあいかわらず見ているだけで 布団の中ではわたしの体が腐乱している
それについては因縁がある なにせ前世の仇だから うららかな冬のある日 わたしはそいつを探して山にきた 皮をなめして枕にしてやろうと思ったのだ 鉄砲をかかえ 神社の脇を通った時 昼寝しているそいつを見つけた こんなに簡単にいくものなのかと うまうまと鉄砲を突きつけ ずどん!と一発 するとどうしたことだろう 昼寝していたのは自分で 撃ったのはそいつ 撃たれたわたしは胸に大穴をあけられ ぷつりと命を閉じた それからはよくわからない ひらひらとどこかを飛んでいた気もするが 最後はなめされて枕になったのだろう 本家の離れで寝た夜 枕がそんな話をした むじなの毛皮で作られたという枕は変なにおいがして とても寝苦しかった 本家の人に断って ドラム缶で燃やした
曇り空から縄が垂れている どこに続いているのか先は見えない 午後になると近所のものが集まってきて 突如現れたこの縄について協議しはじめた 一人がおれが片付けてやると言って前に出る 触らないほうがいいと皆は止めたが こういったあやかしには毅然と立ち向かうべきなのだと 遠慮なしにぐいぐい縄を引く 土から牛蒡を引き抜くようなものだと笑いながら 臆病者どもめと笑いながら しかしどんなに引いても縄は尽きない だんだんと日は暮れて暗くなってくる 男も焦ってきて いっそうがむしゃらに引く と 急にものすごい力で縄が上に引かれ 男ごと空へ昇っていってしまった しゅるしゅる という音とともに わあわあ という声とともに しゅるしゅる わあわあ しゅるしゅる わあ 皆が呆然と立ちすくんでいる間にも みるみるうちに縄はすっかり空に引き上げられ それきり二度と男の姿は見られなくなった
むかし 納屋の整理をした折 古箪笥の引き出しを開けると 中が炊きたての赤飯でいっぱいだったことがある 春の川でとれた蟹の甲羅を剥ぐと どの蟹にも赤飯がぎっしり詰まっていたこともある それからこういう話もある 美人で知られたおんなが病気で死んで 湯灌の際に膨れ上がった腹を押したところ ぶりぶりととめどなく赤飯をひり出した 美人は死にぐそまで常人と違うのかと のちのちまでたいそう噂になった
遠くから冷たい風が吹いてきて ぺろりと剥げた顔が排水口に吸いこまれた あわてて手を突っこんでももう遅い その日から鏡もガラスもすっかり曇ってしまい 自分の顔というものがわからなくなった 写真を見返してもぼんやりとして 拭われたような暗闇が残されている そのうち新しいのが生えてくるよと笑う友人も ふとした瞬間に眉をひそめている やはり取り返しのつかないことなのだと思う なんといっても遺影に使う顔もないなんて そんなものは豆腐と同じではないか
会合にも出た それから句会にも出た あとにはひと気のない座敷に一人きりで 茶を飲んで余韻を冷ましている 憂いはあらかた片付けてしまって 人に用立ててもらうものも特にない おもいきり火を使って料理するのもいいし かたつむりの中に塩を注いでやるのもいい とにかく雪原のように自由だ 畳に寝そべって大の字に手足を伸ばす なにげなく見るともなく見る天井を 子鬼の群れが駆けていく