そろばん屋の戸をくぐる 奥に小さな番台があって 主人がそろばんを弾いている そろばんを見に来た旨を告げると 顔も上げずに 今時そろばんでもないでしょう とぶっきらぼうに言う そう言われると なぜそろばんが欲しいのか 電卓でもなんでも使えばいいのに こだわる必要なんてないのにと 決心が鈍ってくる うなだれて床を見ている 結局そのまま店を出て 坂を下って家に帰る 途中、橋に大きな猩々がいて 大きな口でにやにやと笑っている あの大きな口も飯を食うのだ わたしはこれからどうやって 食べていけばいいのだろう 飯を、ではない 人を
おかめとは女である 嫌われ者の女である しだの葉陰から覗く 首の長い女である わかめではない おかめである おかめは畑を荒らす 今日もあちこち荒らす ばきばきと全身の骨を鳴らして 腕に関節が十個もある わかめではない おかめである おかめはぶすである ものすごいぶさいくである 年中くそまみれのけつで くさいくさい屁をこく わかめではない おかめである おかめ おかめ 子供を追い回す 石ころのほうがまだ役に立つ わかめではない にんじんの一種である
山道を辿っていると なにかの臓物が落ちているのに出会う それはさいころより少し大きいくらいのもので 草陰で赤く湿っている きのこがひとつ見つかると 次のきのこが見つかりやすくなるというが そのようにして次々と見つかる 見つけ次第、袋に収めていく 点々と、点々と 限りなくどこまでも続いている 次第に暗くなる山間で この赤い目印だけが 優しい彼らの存在を教えてくれる
坂の突き当りの家で 障子を開け閉めしている人がいる 朝からずっとそうしているのだ 狂っているのだろうか、と思い それから あんな風になるのも仕方のないことだ とも思い 人に言うのが憚られる気がして 息を詰めて見守っている あんな風に障子を開け閉めしていては いつ外れてもおかしくないし そうなったらなにもかも遅いのだ 第一、夜になってしまえば どんな苦労も無駄なことだ やめればいいのにな と見ているうちに 屋根の上にからすが集い 今か今かと待ち構えている
この町は空き家だらけ 厚いカーテンに覆われた部屋に どんな悪霊が潜んでいるのだろう 鱗の生えたやつだろうか 歯は一本残らず抜け落ちて 豆腐のような歯茎で電気を吸う (そして、夜になると ちゅうちゅうと密かな音をたてる) 腐った芋のようなやつだろうか それとも それとも 枝のような根のような みみずと血管を一緒くたにしたような 死んで間もないやつだろうか ああ ああ
本能寺から来た人がまんじゅうを食べている わたしはお茶を出そうか迷っている なぜといってあの本能寺から来たのだから 些細なことが失礼にあたるかもしれなくて でもさすがにお茶くらいは出そうかと 腰を浮かしかけた時 その人が食べているのはまんじゅうではなく 苔むした泥団子だと気づいたのだ 口の中で砂がじゃりじゃりいっている よく見ると血まみれだ 本能寺から来た人はやはり恐ろしい人だ
どんな歌がふさわしい 草色に濁った水のまどろみ 悲鳴を含んだ鳥のおしゃべり 落ちた花の萎れる音 夜の姫君の言葉 どんな歌がふさわしい 暗闇に響く鬼の足音 眠り続ける無数の心臓 ばらまかれた星々 夜の姫君の言葉 ああ、わたしは わたしを生かすそのものについて 見えもしない嘘について歌おう 嘘が永遠に真実であるように 宙に走り去る響きを まだ吸われも吐かれもしない息を
突然、まな板になったらどうすればいいか このことを知っている人は意外に少ない まずはその職務につくことを天に報告するため 東に向かって三礼 簡単でもいいから供物を用意する そして人間として生きてきた垢を落とす つまり斎戒沐浴し 五穀を徐々に断っていく もちろん酒、肉、煙草、性交も断つ 自然のなりゆきにまかせて ただ静かに慎ましく生活していることだ そう、たとえば風の強い冬のある日 どこからともなく巨大な刃が出現し 薄く固くなった身体をぎしぎしと切っていく その時の覚悟ができているかどうかなのだ
あんなに大事だった針を 谷底に落としてしまったせいで かかとからほつれた赤い糸が 林間をくねくねと絡まっている まるで血管を張り巡らせたみたいに 山の中をうろつき 全体を火事のように覆い そして今、すっかりほどけた身体で わたしはもうどこにもいない 強い風がびょうびょうと吹きすさぶ 木々は一斉に頭を振る はるか彼方、陽の光をきらめかせて 静かに海が流れている