一年になる。トラックが子供をはねて今もそこに白い花が供えてある。途切れ ずに誰かが、たぶん遺族だと思うが替えていて、そこだけいつも瑞々しい気配 が漂っている。夜でも甘い香りがして花が供えられているのがよくわかった。 通りすがりに横目でちらりと見る毎日で、その白い花がいつまでも枯れないな にかの目印になっていた。 * * * 地下鉄のホームの端には観音開きの扉があり、さらに地下の映画館に続いてい る。古い時代には小劇場であったらしく、今は喫煙所になっているあたりには かつて営業していた食堂の名残が認められる。観劇の前にそこで弁当を買って 客席に持ち込むのが通例であったようだ。自販機でジュースを買って映画ポス ターを眺めていると館内からくぐもった音が伝わってきて、誰も通らない廊下 にはしばらく自分一人しかいなかった。 * * * 絵の教室で聞いた話。とある農家から出た木の仏像があって、手に入れた画家 がアトリエで作業の合間に眺めて過ごしていた。ある日、いつものように画布 と格闘していると、いきなり真っ二つに仏像が割れた。頭の先から膝まできれ いに二つに分かれてしまい、おそるおそる開いてみると、仏像の中には蟻の巣 が広がっていて、ただしもう蟻はとうの昔に消え果てて巣の廃墟になっていた という。まるで胃や腸のようだったよ、と画家は笑いながら話した。 * * * 枕に頭をのせて考える。今この住居の床下のさらに下、地中に太古の塩水の溜 まりがあって、そこでは数え切れないホヤの群れが生きている。無数のホヤが 幾重にも積み重なり、水を吸入しながら性交に励んで際限なくその数を増やし ている。赤茶色の華麗なる王国。無言の喜びの歴史。彼らがそれぞれに夢見て いる宝石の小函に収められた、一粒の新鮮な砂金の輝き。 * * * 曇り空にいくつもの首が浮いているだろう。固く目を閉じて口元に微かに笑み を浮かべて。風向きや地球の磁場に従って一様に同じ方角を向いて。どの首も かつて生きた記憶を持ち、中にはまだ地上に暮らしているものもある。だが時 が来て雲が晴れれば熱い太陽に熱せられ、熟した葡萄のように弾けるだろう。 痕跡も残さずこの世から消え失せてしまう。誰もがそれを知ってはいるのだが。 * * * 見えているのに見えないふりをしている。うっすらと埃の積もった本棚、徐々 に弱っていく観葉植物の鉢、皮膚の下の小さなしこり。生活が生活でなくなり、 わたしが人間でなくなるのはどの冬の真夜中なのか。水道から流れる水がわざ と焦らすようにゆっくりと排水溝に消えていく。わずかな音も立てずに。 * * * 葉が雨音を弾いている。灰皿には吸い差しの煙草と、アプリコットティー、机 に珪化木、散らばったディスク、喜劇と悲劇の何冊か。何もかもが夢だったら と思う時もある。投げ出した小説を開き、栞がわりに挟んでいた絵葉書を眺め ている。雨に閉じ込められて静かに、眺めている。 * * * 明るい昼間に歩く僕の内臓は重い 死と夢がいっぱいに詰まった袋を持たされて パトカーの脇を過ぎていく 残像を曳いて どこまでも行けると信じている 自分でさえ思いもよらぬ距離を 遠い国まで聴きに行く 無限の無駄話 花よりも確かな 地下水の音楽 悪い風の囁きを