影絵芝居

踊りを踊るには

赤い服

思い違い

悪左衛門

姿見

水槽

荒野へ

踊りを踊るには

踊りを踊るには
こうするんだよ
といって
知らない男が窓から入ってくる
ひょろ長い腕が床にまで垂れ下がって
体がやけに白くすべっこい
黒い僧衣のようなものを羽織っていて
その下はまったくの裸である
わたしはもうずっと縛られているので
生ぬるい床に片頬をつけて
男を眺めるともなく眺めるしかない
踊りを踊るには
こうするんだよ
といって
知らない男が奇妙な足取りで
部屋の四隅を行き来しては
甲高い声で歌っている
その歌をよくよく聴けば
はるか以前に滅びた国の
狐と老人の物語であるらしいが
あるいはそれはまったくの間違いで
ありきたりの田植え歌なのかもしれない
蛇がとぐろを巻くように
節回しは高くなり低くなりして
男の喉は膨らんだりへこんだりする
踊りを踊るには
こうするんだよ
といって
知らない男は汗をかいて
身振り手振りで大きな家を作り
その階段を昇り降りするが
わたしはもうずっと床に転がされているので
踊りを見るどころではない
いつになったらやめるのだろうか
この踊りは終わらないのだろうか
白けた気分でなかば目をつぶっているのに
男は一向にやめる気配がない
踊りを踊るには
踊りを踊るには


赤い服

障子がすーっと開いて誰かが入ってくる
いつか夢で会った人のような気がする
上から下まで赤い服を着ているので
目も眩むような思いで
何も言えないでいると消えてしまった

言葉を武器にしたつもりはなくて
ただ小さな風船で遊んでいるうちに
鋤でかき出されて連れてこられた
この人気のない屋敷で
壁や床に浮かぶ染みを見ていただけだ

子鬼の踊りを見ていただけだ
空には大きく火星が浮かび
どんな光も真っ赤に染まってしまう
やがて赤い服を着た誰かがやってきて
ここには誰もいなかったんだよ
と言う

踊りながら
ここには誰もいなかったんだよ
と嬉しそうに言う


思い違い

思い違いをしているのではないか

君は寝床に身を横たえているのではなく
もういつの時代に作られたのかも
さだかではない古い古い風呂桶の中に
身ぐるみ剥がされたままの素裸で
(しかも生温い蒟蒻が浮かぶ水に)
乱暴に放り込まれているのではないか

なんら保証を持たないのにもかかわらず
心の底から幸福だと思い込んで
幸福が永遠に続くのだと思い込んで
なかば意識を失っているのではないか

両手に赤い箸を握りしめては
時折、腐りかけた蒟蒻を刺しつらぬき
口から泡を吹いて喜びながら

いかにも大層なことを成し遂げたと
いかにも不可能を可能にしたと
有頂天になってはいるものの
その実

蓋を被せて釘を打ちつけた風呂桶に
たった一人で封じられて
暗い夜を運ばれていくのではないか
高速道路を西へ運ばれていくのではないか


悪左衛門

悪左衛門の誕生を待つこと
それは誰も避けられぬ責務である

部屋の四方は障子で堅く閉ざされている
芋之助もそれを強いて開けようとはしない
薄ぼんやりした光が室内に差し込み
時折、障子に異形の影が踊る
されこうべや落武者
蛇女、雀娘、茶坊主の類
巾着切り、殺人者、死体漁りなど
およそありとあらゆる影の戯れを示すが
実のところ、この物語には関係がない
悪左衛門こそがひとつの実体を持つ

悪左衛門とは何だろう
芋之助はかねてよりそう問うてきたが
一向に答えははっきりとしない
ただその問いを向けるべき対象が
彼の前に横たわる一匹の馬であることが
近頃ようようわかってきたところだ
なんとなれば馬は孕んでおり
その生まれつつあるものが
悪左衛門であるらしいからだ

深更である
芋之助が茶を飲みつつ馬を見ていると
馬は青白く膜の張った目を彼に向け
気怠げに出産の合図をする
彼らの間についに合意が成り立ち
いよいよ関係の精算がなされることになる
丸く張った腹に出刃包丁を当て
一息に切り開けばいいだけ
そうすればこの苦役から逃れて
二度と面倒事に関わらずに暮らしていける
悪左衛門などに関わらずに生きていける
芋之助はそう考えている

不思議な明るさに満ちたこの部屋で
馬と一人向かい合うのは
一体、何者であるのだろう
この特徴のない影のような男は?
彼がもうすでに千年も座敷に閉じ込められ
老いることなく影絵芝居を続けているのは
どのような悪魔の仕業であるのか
あるいはその悪魔こそが
悪左衛門という名を持つのだと
一応は考えることはできるが

包丁が腹を裂き
あとには馬の残骸が残されるのみである
取り出した悪左衛門を袋に収めて
障子を開けて外に出ると
古びた門をくぐって道を歩いていく
天狗も棲む森の中の暗い道だ
自らの素性を隠して
悪左衛門を始末するために
はるか遠くまで行かねばならない
芋之助はそう考えている


姿見

天狗の一人がやってきて
おまえの家の姿見を貸せと言ってくる
家に姿見など持ってはいないので
そんなものはないよ、と告げると
天狗は怪訝な顔をしている
家に姿見がないなんて嘘だろう
おれが天狗だから小馬鹿にしているんだろう
そんな態度をとるなら考えがあるぞ、と
おそろしい顔をしているが
ないものはないので
うちには本当にないんです
昔から欲しかったのですけれど
いろいろと事情がありまして……と言うと
向こうもだんだん心配そうな顔になり
家に姿見がないんじゃ便利が悪いだろう
買ってやるからついてこい、と
白いバンに乗せてもらい
川を渡って家具センターに来た

さあ好きなやつを選んでくれ、などと
天狗が言うのは少し滑稽だが
ここは好意に甘えておこうと
なるべく安いものを選んだのに
そんなのよりこっちにしろよ、と
天狗はやけに高価なものを勧めてくる
こういう時に口答えをしてはいけない
どうせ自分が懐を痛めるわけではないのだから
何を選んだって大した違いはないのだ
いささか後ろめたい思いを抱きつつ
バンにその姿見を積み込んで
運転さえも任せきりで
また川を渡って家に帰ってきた

さてこれで何もかも整った
立派な姿見はやや不釣り合いではあるが
暮らしていくうちに日常に溶け込むだろう
天狗はいい買い物をしたと
背中をばんばん叩いてくる
いい買い物をしたのかもしれない
なんといっても天狗が選んだものだ
これは天狗の姿見だ
天下にまたとない大名品だ
にわかに嬉しくなって鏡面を覗き込むと
天狗の赤い顔が次々と浮かんでは消え
まるで夜のトマトが踊っているような
夢のように楽しい生活が始まった


水槽

縁日で掬った金魚をどこにやっただろうか
庭の片隅、物置の陰のあたりに
古い水槽が転がっていて
水と水草を適当に入れて
そこに放り込んでおいた気がする

誰も世話をしないまま
ただ、気まぐれに思い出して
真っ青に濁った水の中を覗いていた
曇ったガラスの向こうに蠢く影を見て
まだ生きている、とか
思ったりして

追加の金魚を入れたこともある

不思議と金魚が死んでいたということはない
なかったと思う
死んだものもいたのだろうが
濁った水の中でいつまでも生きていた
そういう風に記憶に残っている

いつまでもいつまでもそれが庭の隅にあった
雨が溜まって水は心配いらなかった
雨水と金魚
枯れかけて茶色と緑が入り交じった水草
夏でも冬でも
一年を通してずっとそうだった

時々、思い出す
あの水槽はどうなったのだろう
もうあるはずはないのだけれど
今も必ずどこかにある
雪が積もった冬の朝などに
布団の中で寂しく思い出したりする
  


荒野へ

浴衣を着て歩いていたのだ
電柱を何本かやり過ごして
花も歌もないままに通っていくと
いたるところに空き地がひらけ
荒地野菊の群生や
廃屋を匿している竹藪が現れ
わけもなく悲しいだけ
しとしとと降り始めた雨に
体はぐっしょりと濡れて
人間の言葉など
もうにんげんのことばなど
かんがえるひまさえないのだった