紫色の紙が足りなくなってしまった 急いで買いに行かないと、もうすぐなのだからと 気ばかりがいたずらに焦って どうしたらいいかわからない 今までどこで買っていたかなんて覚えてないし 手配してくれる人にも覚えがない いつもいつもこうやって 足りなくなってから焦りはじめるのだ 焦ったところでどうしようもないのだから いいかげん腹を据えてはどうだ、と言われても はたしてそれで解決するものだろうか 黄色い紙が余っているから かわりに使ってもいいのじゃないかしら なんてうじうじ考えているうちに いよいよ手遅れになってしまって おそろしい夜がやってくる
店先でいきなりりんご齧ってやろうか 店番は慌てるだろうな 噛んだら血を吹きそうな赤いりんご いきなり齧って お金も払わずに逃げてやろうか みんな唖然とするだろうな 舟に乗って逃げてやろうか 犬も殺してやろうか 花も
夜中に地震で目が覚めて 地震のたびに いろんな神社の鳥居から 小石がぱらぱら落ちているのだろうな と窓を開け閉めして もう一度、すとんと夢の中に入る 夢の中では栗の林にいて 毬栗がぽろぽろ落ちるのを見ている 見ていたらなんだか悲しくなって これ以上、やめてほしいと思うが 地面に落ちたそれは赤く輝いて 鬼あざみの群生を作っており ひとまずは胸を撫で下ろしたのだ
犬や猫や蛇が増えてきて だんだん部屋が狭くなってきた 布団を敷くにも食事を用意するにも いちいちまとわりついてくるので うっとうしくてしかたないのだが あとでどうにかしようと思っているうちに いつも日が暮れてしまう そうしてもう何年にもなる 今日はいつにもまして部屋が冷えて ストーブを着けようにも灯油は高く 手がかじかんでどうしようもなくなってくる そうだ、と思いたって ためしに犬を放りこんでやったら 朽木のようによく燃えて暖かい 猫も蛇もえいやと放りこんでみる 布団も食器も本も 着物もわたしもよく燃えて もっと早くからこうしておけばよかったと 始末がついて安心している
おれは桃太郎だ、桃太郎なんだと鬼が言うので あんたは桃太郎だよ どこから見てもそうだよと頷いてやる 鬼は心底ほっとした顔で そのわりには空っぽな目をして 暗い森の奥に帰っていく わたしはそれを止められなかった
枕の下に包丁を入れて眠るとよい もしも悪夢を見たのなら その時はすかりすかりと捌いてしまって うすい刺し身にするとよい 油まみれの水たまりのように光るそれを やってきた男は食べるだろう 用意されたものは残さず食べるというのが 昔からの獏の流儀であって それは悪夢であればあるほどうまいのだ にがくて冷たい夢を腹いっぱい食べさせてやれば 男は涙を流して喜ぶだろう 目を細めておまえに愛を囁くだろう そうしたらしめたもの いつか動けないほど肥えたそいつを おまえは頭からぺろりとたいらげてやる 悲鳴も漏らさない海の底に沈めてやる その日のために おまえはもっともっと用心しなければならない こうしてわたしが言い聞かせるのも おまえの幸せな将来のため
鏡を覗くと知らない人が映っている 引きつった頬はまるで人さらいのようだ 人さらいの口から人さらいの牙がにゅうっと伸びてきて 葡萄の彫りのある鏡を突き破りそうになる あわてて毛布をかぶせて 奥の倉庫にしまっておくことにする 人さらいはこわい 人さらいは恐ろしいものだ そうつぶやきつぶやき 畑に出て 土をいじったり草を抜いたりしている 時々そこでは子供やおんなの骨が見つかるのだ 収穫をひかえたトマトやきゅうりは どんな悲鳴をあげようかとわくわくしている
赤信号で立ち止まったとき うしろから歩いてきた人がすうっと追い越していって そのままむこうへ渡ってしまった その自然な様子に呆然とする 自分もその人と同じように渡ってしまいたいのに いつ猛スピードで車が突っこんでくるかと 決心がつかなくて行きあぐねている その人の行く先はたぶん同じだったのに 今はもううしろ姿も見えなくなってしまった 川沿いに工事のランプが灯って マンホールの下を水がゆっくり流れている 家では病気の人が待っているのに 赤信号はいつまでも変わらない 家では病気の人が待っているのに