les ombres 2

桂馬

生計

遺品

古漬

冬支度

先祖

猫の列

角埋山

おにぎり

捜索を打ち切ろうとした時に
まだ生きているはずだからと
母親が池に飛びこむと
父親や親戚や
近所の人々、その縁者まで
続々と飛びこみ
さらには犬も猫も
虫けらまでもが水に消える
飛びこみたい気を抑えながら
それを眺めていたせいで
いつまでも死ねないのだ
子供のままで


桂馬

わたしが桂馬をくすねてきたせいで
あの人たちは困っているにちがいない
そう思うと笑みがこぼれてくる
桂馬ひとつがないせいで
互いに疑心暗鬼になり
それがために命を奪い合えばいいのだ
怨念は子々孫々に及び
一族と一族の間に禍根を残す
そうなればしめたもの
ああだこうだといつまでも
憎しみの炎を燃やすのだ
誰も想像できないような
闇の坂道を転がっていくのだ
ああ、そうだ本当に
わたしが桂馬をくすねてきたせいで
あの人たちは困っているにちがいない


生計

夜明け前に仕事を始める
様々な場所から運ばれてきた壺が
庭に無数に置いてある
それをいくつか隅に転がしていき
思いきって頭上に持ち上げた後
力を抜いて地面に叩きつける
この時の快感はえもいわれぬものである
ばりん!といい音を立てるものもあるし
ぎゃっ!と叫び声を上げるものもある
壺を砕いているのか
人間の頭を砕いているのか
不思議な気持ちではあるが
この仕事には誇りを持っている
いつまでも続けていきたい


遺品

生前の叔父は奇妙なものを食べていた
林から掘り出してきた一升瓶を
土まみれのまま縁側に持ってきては
ブリキのたらいに中身をあける
おそらく獣肉を熟成させたもので
なかば液状化したそれは紫色に変じ
子供の目にはとても奇異に映った
叔父が亡くなってはや数年
思い立って林の地面を掘り返してみれば
あとからあとからあの一升瓶が出てくる
そのうちのひとつを家に持ち帰り
叔父がやっていたようにたらいにあけると
この世のものとは思えないほど芳しい
ただあまりにも禍々しい色の物体が
どろりと地上に出現したのである


古漬

まずい漬物を買ってしまった
瓜の一種という触れ込みだったのだが
瓜に似つかわしくない妙な歯ごたえで
古い脂の塊を噛んでいるような感触である
味もまったく塩気を感じさせず
噛めば噛むほどぼやけた甘酸っぱさが口に広がる
いい具合に汁に漬けこまれて萎びた見た目と
安さに釣られて買いはしたが
これはもうどうにも食べられない
捨てるのも癪で床下に放っておいた瓶を
今日たまたま取り出してみたところ
漬け汁の中で瓜からは無数の根が伸び
絡み合った根には黄色い花をつけ
まことに可憐な姿を見せたのだった


冬支度

朝晩は冷えこむようになり
少し体調を崩しがちになった
以前から夜の間に来ていた
手舐め、足舐めの人たちは
そろそろ寒くなってきたからと
出勤を控えるようになった
とはいえまだしばらくは曖昧な気候が続き
朝起きると手足が土にまみれていたり
あおみどろだらけになっていたりする
舐め人たちは自分たちがいれば
そんな不自由はさせないのだがと
言ってくれてはいるのだけれど
この苦労もたかがあと何日かのこと
そのうち手足に芝草が生え揃い
冬の野山に適応した四肢が
春までわたしの夢遊を支えてくれる


先祖

天井一面に桔梗の花が咲いているらしい
わたしはそういうものが見える性質ではないので
驚いて友人に訊ねてみると
特に悪いものではないらしい
おそらく先祖の誰かが好きだったのでしょう
たまには本物の桔梗の花を
窓辺にでも飾っておくとよいです
なるほどそれくらいなら、と
寝床に入って
真っ暗の天井を眺めている
星形の花弁が風に吹かれて
花が花に触れてさかんに戯れる
風景を瞼の裏に浮かべつつ
眠りの間際に
知っている限りの名前を唱える


猫の列

猫の列に並んでいると心が安らぐ
不安がどんどん消えていく
夜の暗闇の中でこの列が
一体どこに通じているのか
猫でない人には知る由もないが
ふりをして歩いていけばわかるだろう
閉鎖したガソリンスタンドを通り
墓地の背後をすり抜けて
熟柿を踏んで柿の木を回る
その向こうの防空壕へと列は続く
あの中へと皆入っていくのだ
入っていく穴をよく見ると
家よりも大きい化け猫の口
ぴかぴか光る化け猫の目玉
猫が猫を呑みこむ列の中途で
猫のふりをして尻を振っている


角埋山

角を捨てるのなら山がよい
季節の巡りごとに生え変わる角を
ひとまとめに籠に入れて持っていく
このあたりは古い窯場だから
埋もれて見え隠れする陶片を拾いに
屑拾いがうろついているのもちょうどいい
土に戻るならそれでよし
人が拾うなら人が狂うだけ
未練を残さず捨ててしまおう
きゅうりのように細長い角は
長い時間をかけて分解され
やがては土を肥やすことになる
はるか昔からそうやってきたからこそ
秋には紅葉が燃え上がる
憎しみがとてもきれいな山だよ


おにぎり

おにぎりを握る
水に手をつけて塩をすりこんで
ほどよくめしを手にとる
手のひらに熱が伝わり
熱の塊を握っていく
この世で握られたすべてのおにぎり
その熱さの総量を思案する
手のひら、指、爪を思う
心はどこにも存在しない
心ない白い骨がおにぎりを握る
骨がおにぎりを皿に転がす
居間に運ぶ