気配

春の牙

おろし

あの音

誰か

おんぶる

春の牙

なにかの牙が落ちている
足先で蹴るところころ転がる
道に尖った白い牙が
矢印のようにあらぬ方向を指して
陽射しの中で輝いて見える
犬かなにかの牙だと思うが
拾ってみるとすべすべして
乾いた手触りが清潔でさえある
犬かなにかの牙だと思うが
持ち主に返してやりたい気もする
手のひらの中で感触を確かめる
線路沿いに菜の花が咲いている
地中に春の虫が育ち
あくびを噛み殺して歩く人の隣を
電車が通過して
少し遅れて風が吹き抜ける
生きていたものがどこまでも追いかけていく
歩きながらその姿を
脳裏に思い浮かべてみる


おろし

空気がしんと冷たくて
部屋の家具は然るべきところにある
住人はどこにも見当たらず
先程から大根をすりおろす音だけが
悲しいほど陰気に響いている
緑色の毛むくじゃらの腕が
五本の指で大根をむんずとつかみ
卸金に押し当てて
大根は小さく小さく身を削られていく
ということもないが
人々が帰ってきた時
丼いっぱいに盛られた大根おろしを見て
惨劇があったことを悟るだろう


あの音

家のまわりをうろついてるあの音
ざりっざりっと砂利を踏むあの音
あの音
二本の白い木のような足
指は全部ある
裸足で少し汗をかいてる
五月の夜
家のまわりをうろついてる
あの音

男もしくは女
膝から上は闇に包まれている
年齢はさだかではない
子供もしくは老人
頼りない感じ
折れてしまうかもしれない
そう言ってもいい
あの音
ぼんやりと白く浮かぶ足
あの音

天井を眺めている
誰が
暑いのか寒いのかよくわからない
布団の端から足が出ているのか
溶けてきてるのか
死んでいる
死んではいない
家のまわりをうろついてる
誰が
誰でもかまわない
ざりっざりっとうろついてる
あの音


誰か

玄関に人が来た気配があって
急いで出ると誰もいない
そんなことが何度かあって
もう相手にしなくなった

冷蔵庫にしまっておいた桃に
歯型がついていたこともあって
ぞっとしたものだが
見て見ぬふりをして暮らす

未明
夢を見ないで目を覚ます
誰もいない
木が軋む音がする
誰もいない
誰かがいるような気がする


おんぶる

幼なじみが働いているという
屋敷の廊下の先にしらじらと明るい一室があって
布団や卓が散らばる中で待っていると
いつのまにか差し向かいに座っていた

しばらく会わなかったが面影は感じられ
ただ、今は変わっているはずだからと
名前を呼ぶのはやめておいたが
もしかするといらぬ心配だったのかもしれない
些細なことはいいとして

生前の話をいくつか話しながら
運ばれてきた料理をつまみ
そのいやに塩辛いのにも胸が詰まって
朝になってしまう前に
じゃあそろそろと立ち上がって

よければまた来てほしいという幼なじみに
また必ず来るよと答えた