台風の日の午後 閉めきった廃屋の一室で 男の首が宙に浮き ゆっくりと回転している 目蓋はかたく閉じられて 堪えられないように 時に苦悶の表情を浮かべている 彼の表情が何を語るのか あるいは彼の表情に 読み取るべきものが本当にあるのか 何もかもが束の間の冗談なのではないか それはともかくとして 片隅にはこういうものがひっそりと生きている それだけは確かだ
嘘か猫のようであろうとして そのどちらにも失敗してしまった こうなってしまってはもう 人さらいになるしかないと 人さらいの家に教えを請いに来たのだが 玄関から庭まですうすうと 透明な空気が筒抜けに流れるばかり しんと静まった家で 恐ろしい人さらいにもなれず この世から消えていく何かを 鏡に映して見ている 鏡の中には誰もいない
謀反をはたらいた廉で 切腹を命じられたことがある と聞いたので 話の穂をついで それはさぞかし痛かったでしょう どんな様子でしたか と訊ねると 氷のように冷たい刃が腸をかすめて あまりの痛みに刀を横に捌くことができず 口をぱくぱくさせている間に すとんと首を落とされてしまったという 少し首をのけぞらせて 首元の真一文字の傷を見せてくれた人に 私も以前 人の首を斬り落としたことがある と答えた
畑の畝を踏みつけて歩くような 大きな台風が過ぎていったあと 庭中にたくさんの青柿が落ちている 渋くてとても食べるどころではないやつだ うちには昔から柿の木なんて生えてないのに こういうことが稀にあるのは不思議だ 始末に困って全部隅のほうに転がしておいた しかしそれから幾日かが経って 他のことで気が紛れていると 跡形もなく消えてなくなってしまったので あれは柿とは違うものだったのだろうという話になった
流れの早い箇所を竹馬で渡ろうとして どうしても流されてしまいそうになったから 前に倒れざまにひょいと渡りきってしまった と思いきや、渡ることばかりに気を取られて 竹馬が水に流されてしまった 最後にひひーんと鳴いたのが悲しい 竹馬もやはり馬の一種ではあるのだ 雨上がりの夜空には瞬く星々 ゆらめく水草は女の髪のよう 竹馬は春まで川底で鳴いている
一度間違えてしまったのだから 何度間違えても同じことだろう そう思って暮らしていると 次第にばったのような顔になってくる 顔がばったのようでは外にも出られないので その部分を消しゴムでこすり 一応は人間に戻してやりすごしている それでも気がゆるむとばったに戻るので ついにやけくそになって ばったの姿で跳んでいくと おまえみたいなばったは知らないと 丸めた新聞紙で叩かれて ぐしゃぐしゃに潰れてしまう そんなことがあるはずはないのだが 道端でそうなっている
ふいに風が吹いて 窓が揺れているのがわかった わたしは本を読むのをやめて 少し水を飲んでから また読めもしない本に顔を戻す 本の中では狂った男が ひとりきりで清潔な納屋に暮らしている 狂った男が顔を上げると わたしが薄笑いを浮かべており どちらがどちらを見ているともいえず 二人ともそれぞれ満たされて暮らしている それがずっと続いているということだ
一人足りなくなったと連絡がきた 行かなければならない あとからあとから湧いてくる霧雨を かき分けて向かうとすでに皆揃っており 輪の中に加わろうとすると ぐいと首筋をつかまえられる おまえを入れるわけにはいかないのだ 今までおまえがやってきたことを 省みて遠慮したらどうだ そのまま引きずられるように追い出され 離れた場所で呆然としている おそろしい後悔の念に襲われて 立つことも座ることもできずにいる やがて劇が始まる 黒子たちが土を掘る 踊るようにシャベルを振り上げる 長い長い暗い劇 この世の終わりまで続く 長い長い暗い劇
眠っている間にかきむしってしまって 今日を過ごす顔がない 日が暮れるまでただ静かに 新しい顔が生えるのを待つばかりだ 庭には幽霊のような花が咲き うすい膜が生活全体を覆っている 覆っていながらそれは緩慢に締めつけ 息と息の間にぴっちりと隙間なく 新しいかさぶたを用意する そうした夢には階調があって いつも中途で生かされているようなものだ 目をつぶって息をしているうちに 身体が潰れた軽石と化す 狂雲の日々が過ぎ去り いつか荒野に投げ出され 獣に食われるのを 生まれ変わりが顔の空洞で見ている わたしたちは大勢 すべてすべて無縁のものたち
雲間から首が降りてくるでしょう まるで惑星ほどに巨大な首が地上に迫り 町は暗くなります 道行く人々は自分の思いにふけり あなたも目の前の地面をじっと見つめています 空に浮かぶ首は無表情で 口をいっぱいに開けると 一回り小さな首を吐き出します 吐き出された首はさらに口を開き それからまた新しい首が 次から次へと吐き出されていきます 町の人々は気づきもしませんが あなたが気配を感じて振り返ると 列になった首が迫っていることでしょう 首たちはあなたが振り返ったことが ありもしないことだったように目を剥くと 今度は映像を巻き戻すかのごとく うしろの首の口に収まっていきます そうして首たちがはるか上空に消え去り 何事もなかった様子の空からは ぽつぽつと冷たい秋の雨が落ちてきます あなたは急いで傘を差しました 道行く人々も皆、傘を差しました