ふぐをもらった 皮がとても硬いので扱いかねていたが 家庭用の鋏で簡単に捌けるらしい 表面の針をぼきぼき折って 力を込めて刃を入れると 驚くほどオレンジ色の肝がこぼれ落ちた 身もガラも肝も一緒にして 野菜を加えて水炊きにすることにした ぐらぐら炊いているうちに出た灰汁を お玉ですくって流しに捨てる 浮かぼうとするふぐの身を 大量のネギをかぶせて汁に沈める いい匂いがしてくる 居間には家族が揃っている 父と母、妹、祖父 わたしはそれを隅で見ている 鍋つかみをした母が鍋を持ってきて 卓袱台の真ん中に置く 蓋を取ると湯気が上がって 祖父の眼鏡が曇った ふぐを家族で食べながら 父はわたしに様子を聞く 最近どうだとか 友達はいるのかとか 聞きながら切り身を放ってくれる わたしはそれが嬉しくて這っていき 口をいっぱいに開けてかぶりつく 塩辛いけどおいしい 身もガラもとてもおいしい 食べ終わった妹が横になる 父も腹を上にして横になる 母はいつまでも鍋をかき回していたが ついに諦めて横になる 祖父はさっきから見あたらない 父と母と妹とわたし 父は笑顔だ 妹も母も同様に笑顔だ わたしは悲しくなってきて ふぐなんて食べなければよかったと思う 家族が居間に横になって 天井を見上げている 暖かい空気と冷たい空気が混ざって やけに眠気がする 祖父があたりに漂っている 雨音が天井を通して聞こえてくる カーテンは閉め切られて 家族は眠っている わたしだけが起きていて ふぐなんて食べなければよかった あんなふぐなんて食べなければよかったと 泣くほど後悔しているのだ
見えるでしょうか あの屋根の下、切妻という 人間で言えば額のあたり 大きな手形がついているのがわかりますか 男の手が両手揃って 雨の日などはくっきりと浮かび上がるのですが 今日もよく見えるかと思います あれはずっと昔からあるのです 一人の天狗が酔いを発して あんな高いところに手をついていったのです そのせいで我が家の者は皆 死のうにも死ねず 殺しても蘇ってしまうのです 覚えていますか 百年前のあの夜 寒い夏が終わろうとする頃 あなたは印を残していきました もっとよく見て 家族にも会ってください 皆待っています
鶏の手羽みたいな女が 高いところにずっとぶら下がっている 肌は青いペンキを塗ったように真っ青で 裸足の爪まで青紫をしている 表情は暗くて見えない 垂れた乳房の横に穴が空いていて そこから音立てて蜂が出入りしている あのあたりに巣を張っているのだろう ぽたぽたと下に落ちる蜂蜜は 手で受け止めて舐めると甘い 舌が痺れるほどに甘い 風が強い真夜中などに女は ゆっくりと揺れて嬉しげに見える
水面に顔を寄せていくと 無数の鯉が浮かび上がってくる 餌をくれると勘違いしているのか ぱくぱくと開け閉めする口が異様である 指でも突っ込んでやろうか でも吸い付かれたら気持ち悪いな 上空の雲は思いのほか素早く動き 街を行く人も足早に行き来する 長いこと水辺に腹ばいになって 目を血走らせているのは自分だけだ それでも鯉は寄ってきてくれる どれも期待に胸膨らませて うまいものをくれると思いこんで なんて健気なんだろうと思う すばらしいな 脳が小さいな
巨人になって 谷を飛び越すことがある 足裏に地上の凸凹を感じながら 足首に絡む電線や 田んぼのぬかるみを楽しんだり 街を念入りに踏み潰す そんな時、人は わずかな寒気を感じて振り返り 呆然と街の死を見つめている あの顔はいい 天女でも放ってやりたくなる そこで逆立ちして 昔の踊りを踊ってやりたくなる
廃屋だと思ったのに誰かが住んでいる 破れた障子が引かれて その奥の暗がりがあらわになると 豪勢な雛飾りが設えられている 古い古い人形たち とてもきれいに手入れされて 唇に薄紅さえ塗られている つんと澄まし顔の古雛たち 廃屋だと思ったのに誰かが住んで ここで人形に仕えている 磨りガラスに頬を押し当てて 痩せた顔が助けを求めているような そんな気もする