春日線香 詩集 十夜録・目次

ここに眠る

笹舟

水のように

再会

斎のあとで

奥座敷

五月闇

なんこつ忌

探幽記

賽の原

りゅうぐうのつかい

料理

廊下

帰れない

お玉

悪所

供養

サルデニア・トランスファー

青い火

ここに眠る

石のおもしをのせて眠る
石のおもしをのせた真夜中に
紫の腕がやってきた
紫の腕はぶるぶる震えて
「生きたい、生きたい」と泣いていた
かわいそうに思ったので
布団の中に入れてやったら
ぎゅっと手を握りかえしてきた

石のおもしをのせて眠る
石のおもしをのせた真夜中に
緑の腕がやってきた
緑の腕はがらがら声で
「どこへやった」と聞いてきた
その声がどうにも恐ろしかったので
戸口のほうを差して
山のむこうへ逃げたと答えた

呪文を唱えて雷を見送る

朝になると布団の中には
紫の腕が残されていた
もう冷たくなっていて
仕方がないので
庭木の根元に埋めてやった
石のおもしを置いてやった

ずっと昔ここで
そんなことがあった


笹舟

流しにゆくのですか と聞かれ
流しにゆくのです と
暗がりに火を灯しながら
おそるおそる坂を下ってくると
柳の下に店が出ていて
ちりちりと風鈴を鳴らしている
これはどうですか と
差し出された笹の葉には
赤や青で何か書かれており
もうこの目では見えませんね と
暗闇で手探りをするように
それを舟の形にして
すれ違った手に渡せば
誰も知らない空に流れてゆく
流れてゆく姿が
鳥の影が離れる場所に
流れてゆくのですか
流れてゆくのですか と
わたしは立ちつくしている
そのような水辺で


水のように

すみれを踏んで井戸に出て
むこうからこぼれる人を押さえる
押さえた腕が濡れてくると
泣いているんだ と気づく
いくつかの涙の粒が草にかよっていて
昼の庭でくるくると巻かれながら
湿った雲が頭をかすめていく
葉に浮き出た錆を流すように
水のようにゆらめいて
どこかへ去った響きがくりかえされる
巡る生滅のふちで
そのささやきを聞いて暮らす


再会

   瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

百年前の水が流れて
あなたと呼ぶと
アナタトハダレノコトカシラ
はるかに響く
儚い交叉があり
骨ばかり巡らされた枝の下を
透きとおった踵で走り去る
白いかさねを着た花芯が
十字に別れを繰り返し
伝ってゆく道行きの身体に
手を伸ばした先には
海と呼ばれる
静かな湖をつくった


ときのあとで

土間に行く
足の裏に冷えた空気
石を渡ってゆくと
人が追いかけてくる
首を絞めようとするので
猫をけしかける
ぺたぺたと渡ってゆく
水をこぼさないように
名前を呼ばれないように
縁を出る
庭は荒れている
井戸も枯れていて
水をこぼしてしまった
このときに気づけばよかった
辻に葬列があり
夕暮れにちらほら灯りが立つ
誰を呼べばいいのか
あやめもわかぬ暗闇で
死者の白布がぼうっと光る
冷たい息を吐きながら
おまえはいつもそうなんだと
そこで一生後悔する


奥座敷

めしを湯飲みに詰めていると
襖のむこうから男が来て
大勢待っているんだから と
できたはじから持っていってしまう
躍起になって熱いめしを
次々にしゃもじでよそいつけ
もう塩をふりかける暇すらない
こんな山奥に連れてこられて
一体いつまでこうしているのか
泣きたい気持ちになってくる
一体いつまでこうしているのか
すると突然襖がいっぱいに開いて
見れば暗い座敷に誰もいない
ただ百年も前からそこには
座布団が並んでいるだけだった


五月闇

日が暮れてじっとしている
湯をわかして人を待っている
風呂桶の底にあめふらしが一匹いて
熱い湯に蠢いている
それどころかよく通った声で
ろうろうと詩など吟じて
時折 思い出したように声をかけてくる
猫をどこかにやるべきだとか
畑の手入れがなってないとか
聞いていると そうかもしれないと思う
でも 違うんじゃないかとも思う
そうこうしているうちに湯から上がり
おまえはこの話を知っているかと
にやにや笑いながら話しはじめた
知っているもなにも あめふらしの言うことだから
知っているはずはないのだけど
口ごたえして怒らせてしまったら
どうなるかわからない
黙って耳を傾ける

*

むかし
このあたりで崖が崩れて大勢死んだ
埋もれて手がつけられないありさまだった
それでまとめて弔いを出すことが決まり
縁者に報せを届けることになった
茶碗を死者の数と同じだけの欠片に砕き
それを使いに持たせる
報せが届いて縁者が集えば
欠片も揃うことになり
全き茶碗がひとつできあがる
そうやって弔いの場を設けるのだ
だがいざ葬式の段になると
欠片がひとつ足りない
どうしてもひとつだけ足りない
どういうことかその場の誰に尋ねても
どの家が席を断ったのかわからず
使いを質しても判然としない
みな不思議な面持ちで
儀式を終えた

*

得意気に話すのが憎らしい
大体 あめふらしがどうしてここにいる
こんなものを住まわせた覚えはないし
ただ人を待っていただけだ
だんだんいらいらしてきて
寝巻きのまま外に飛び出した
空気は生ぬるい
五月の闇に輪郭がぼやけて
夢の中を歩いているようだ
と気づくと道のそこらじゅうに
ぬめぬめしたあめふらしが這っている
足の踏み場のないほど
憎いあめふらしが這っている
もうどうにもできぬと悟り
立ち尽くした


なんこつ忌

子供が川に流された
何日探しても上がってこないので
親でさえも諦めていた頃に
川下で漁師の網にかかった
肉はきれいに削げ落ちて
透明ななんこつになっていた
それらを木屑や藻から選り分けて
ガラスの骨壷に収めると
光の加減によっては薔薇色にも
黄金こがね色にも輝いて見えた
どこで聞きつけたかは知らないが
世にもめずらしい宝物を見ようと
大勢の人が押しかけて
しばらく村はたいへん賑わった


探幽記

昼の熱が首に残り
薄もや漂う台所に下りていく
流しに秋刀魚さんまが落ちていて
しくしく泣いているので
そんなに泣いても だめだよ
焼くよ と断り
包丁の先導で
地獄を歩かせると
頭から尾までまったくの
美しい焼き魚になる

それを仏間に運ぶ
待っていると
誰かが
そっと襖を開け閉めする
あなたはわたしの
ご先祖さまですか
供えた花が枯れている
寄り集った影が
名前も明かさぬままに
秋刀魚の腹を
箸で探りはじめる


さいの原

焼かれている途中で
目を覚ます
こともあると語りあった後
夜にかけては
怒った牛の悪魔になって
土の中から
きれいな骨を選り分ける
ひとつふたつと
数えていけば
釘で書いた字のように
細い身をよじらせて泣いたり
歌ったりしているのが
ここにも幸せはあったと
よくわかる
満ち干が正直なときは
どこか遠くで流された
魚の血が混じり
やがて運ばれてきた海流に
素足をひたし
舟を浮かべて
どこまでも行こうと
たがいの瞳を覗く
二匹の牛の
人々がいる


板が立てかけられているところに
通りがかって横目で見ていると
いい板だよ と呼び止められて
いい板なら とその気になった
でも板なんか買って
どうするんだろう
黒い油が浮いた板なんか
壁にもできない
橋にもできない
舟を作って川も渡れない
川向こうに行けなかったら
どうしたらいいんだろう
なにか用事があったような気がするし
お通夜があるんじゃなかったっけ
どうしようどうしよう
犬がわんわん吠えている
花がぐちゃぐちゃ咲いている
ここはおばけが出るんじゃなかったっけ
どうしようどうしよう
板なんか抱いたままで
からすに咥えられたままで
夜になったらどうしよう
田んぼに落とされたらどうしよう


りゅうぐうのつかい

りゅうぐうのつかいを飲んでしまった
寒天のようだったから つい
つるつると飲みこんでしまった
せっかく遠いところから来てくれたのに
まさか飲んでしまうとは と
母屋の人たちは驚いている
わたしも驚いている
とにかく体に水を足してやらなければいけない気がして
泉に行くと
ちょうど牛や馬を殺しているところで
あわてふためいて畑の裏にまわると
こちらは女学生が列を組んで
行く手を遮っている
ああもう終わりだ
じわりじわりと包囲を狭められて
捕まったら 祭りの席に出されるのだ
さあ みなさま
これがくだんのばか者でございます
どうぞご覧になってください
当一座の目玉でございます
そうして見世物にされて
畳いちまいほどの広さの檻に入れられたまま
海に沈められてしまう
海の底で千年も反省したら
千匹のりゅうぐうのつかいになって
漁師に釣り上げられるのだ
りゅうぐうのつかいを飲んでしまったばかりに
こんな悲しいことになるなんて
ばかだなあ
水が飲みたいなあ


料理

次から次へと
運ばれてくるお膳に
手をこまねいていたら
古いものから順に
下げられていくので
あれはあとで
女中が手をつけるのだろう
などと静観している
ところが顔役によると
あなたが食べないので
料理人が責任を取って
すべて食べるのだ
というので
一体どれだけの料理が
成功と挫折を
行き来するのだろうかと
奥の台所を
気にしてばかりいる


廊下

奥に進めばいいと
席を立ったのはいいが
どこまで行けばいいのか
聞くのを忘れた
暗い明かりの下
行き交う人は
あなたの目的は全部
端から端まで知っているんだ
とでもいうように
意味ありげに微笑む
磨かれた廊下は
長すぎる気がするが
どこまでも続く壁が
さめざめと白くて
自分が狂っているのか
家が狂っているのか
わからない


帰れない

押入れに入れられて
もうずいぶん長くなる
ときどき遊びに来るねずみに
爪をかじらせてやったり
みかんを潰したりしているうちに
骨の浮いた老婆になってしまった
これではいけないと思う
これではいけないと思うので
押入れを出て
近くの池に泳ぎに行く
体を清めるついでに
親戚まわりなどしてみる
ひさしぶりに会う叔父や叔母が
すっかり生きているようではなくて
長い時間が過ぎたのだ
戦争が五つも六つも過ぎたのだ
ということが卒然と理解されて
まことにおそろしくなる
裾をからげて家に帰る
でも家はない
家はもうどこにもない
戦争が五つも六つも過ぎる間に
燃えてしまったのだ
長い長い時間が過ぎたのだ
女の子が老婆になるほどの時間が


お玉

庭で武将が跳ねまわっている
敵が来るから加勢しろという
大慌てで縁から出て
どうすればいいのかと聞くと
とりあえず今日のところはこれで
火を消すのだ とお玉を渡される
見れば裏の家が燃えている
家が燃えているのに
お玉はないじゃないか と文句を言うと
武将は怖い顔で睨みつけてくる
次はお前の首だぞという風である
急いで井戸に走り寄って
お玉で水を掬い上げようとする
けれど井戸はからからに枯れている
水はこの前の宴会の時に
全部飲んでしまったではないか
武将はますますいきり立っている
裏の家は激しく燃えている
手の中でお玉が
俺を使ってあいつを殺せばいい
とささやきかけるが
どうしたものやら


悪所

いたるところで
青い火が燃えている
人を探しにきたのに
こんな悪所に迷いこんで
やっぱり座敷を
出なければよかった
険しい山道を足さぐりで進み
骨の橋を渡って
廃寺を通り過ぎる
火はいよいよ燃えて
前にも後ろにも
気づけば上下にもある
あの中で燃えているのは
鬼の目玉
いくつもの冷たい葡萄
ふらふら歩きの道行きを
焼かれながら見つめる
進む道はもう
ないというのに


供養

怖い夢から目を覚まして
私たちは古い座敷に
手紙を持ち寄っていった
食事の支度をしたり
庭の草むしりをしたり
そうやって日々を過ごすことが
供養になればいいと
言葉少なに話した
遠くで木立が揺れて
冬の南天が色づいている
誰が忘れたわけでもない
手紙で折った飛行機が
青空を滑っていく


サルデニア・トランスファー

神様の首が転がってくる
まだ青い頬を揺らしている
そのために草叢は割れるほど凪いでいる

シャベルの柄を握り締めた腕が
頭髪のような葉を繁らせた森にいて
冬のあいだに見えなくなったものたちを
早速 埋めにかかろうとしている

熟れすぎた林檎の目玉は落ちて
あちこちの穴の中から
羽を生やした何かが顔を覗かせる
そんな音が聞こえてきたとして

サルデニア
道案内に描かれた帆船も
真空に耐えられない様子

欠ける途中で気づいてしまった月は
ほっそりと爪先を燃やしながら
この暗い森の水面で
透明な血を吐いているかもしれないのに


青い火

土のやわらかい感触がすぐしたにあるのはとてもここちよいものだ
とは思うけどそこにいてはいけないよと呼ばれてふりかえるとタオ
ルをあたまにかぶった老人のすがたをした案山子かかしがぎゃらりぎゃら
りと笑っているさまはもうまるで地獄に来てしまったのかと思われ
る光景でとてもおそろしいゆめだった。すぐさま角笛を取り出して
星よ走れとばかりにふきならしてやったその瞬間にだけ雨はやんで
これはきっと愛のようなものであるなと思いながら井戸をのぞけば
むこうがわからものぞきかえされてあなたは誰と尋ねられた。いや
ぼくはぼくさここにむかしからすんでいる魔物のようなものだ、奇
遇ねあたしもそうよどうしていままであたしたちであわなかったん
でしょ、そうだねきっと山崩れの神様のせいさ。ぼくはうれしくな
って老人のようにしゃがんで結婚しようと叫んだが彼女はとおくを
見たまま老人のような声で食えるものはもうないぞ。はてそういえ
ばもうすでに数百年もにんげんを見ていないしこれはよく考えれば
戦争でにんげんたちは滅んでしまったんだなそうかそうかそれじゃ
あこの砂はにんげんの骨かと井戸の底を足先でさらうと女のこえで
けっこんしましょうと言われた。すこしわずらわしい気分になった
けどもうすでに準備はととのっているんだからしかたがないし山頂
の鳥居のところまで重い腰をかついで夢魔にあわせてやることにし
た。そうだねぼくらには理解がひつようだほかのなによりも理解が
ひつようだ。山の上から見ると地上には青い火がたくさん燃えてい
る。あの静かにかがやく青い火の群れ。ぼくらの火もあれぐらいき
れいに燃やさなければならない、そうねあたしたちは枯れているか
らよく燃えるもの当然だわ。鳥居にこしかけて老人のように息をは
きながらもう迷うことはないし永遠に火に包まれるにはぴったりの
真夜中だね。ぼくらはあのさそりのようにきれいに燃えるんだね。
地上もすばらしく豊穣につつまれたゆたかなてんごくになるんだ。